翌朝、律君を送り出して掃除に掛かる。
俺は茶室から。先生は先ずは洗濯物。
昼を食べたら風呂の掃除。
トイレは流石に先生が掃除されるのを嫌がる。
終ったら庭お願い、の声に上着を着て庭箒を掴む。
箒目を付けつつ枯葉を集めた。
それが終ると八重子先生がお茶を入れてくれて少し休憩。
「ねぇ。この間あなた言ってたけど妊娠は無理だと思うの」
「へ? 何の話です?」
「覚えてないの?」
「そりゃあ無理だねえ」
「私を妊娠させたいって言ったじゃない」
「あぁ。そういえば言ったような。無理じゃないですけどね、今の科学じゃ」
「えぇっ!?」
「嘘だろ?」
「あ、ご存じない?」
「どうやってするのよ、ないのに」
「皮膚から作れるんだそうですよ。精子」
「えっ皮膚ってこの皮膚?」
「そう、それで卵子と受精させて体内に戻す」
「へぇー、今の医学って凄いもんだねぇ」
「ま、でも先生だと高齢出産にもなりますし世間体も有りますし。無理ですね」
「そうよ、無理よ。諦めて頂戴」
「はい」
「やっぱり欲しくなるものかねぇ」
「八重子先生だって覚えありませんか」
「それはまぁ、ねぇ。…あ、あんたが産んだら良いじゃないの」
「いやいやいや、それは誰の子だって話になりますでしょう」
「うーん、開とか」
「律君だと思われたら困ると思いませんか」
「困るね、それは」
「それに久さん子供苦手よね」
「とっても苦手です」
「なのに子供欲しいの?」
「あなたのなら」
あ、先生の耳が赤い。
「掃除、しましょ」
照れくさかったのか慌てて立って箒を取りに行ってしまった。
可愛いなぁ、とニヤついてると八重子先生に髪をまぜっかえされた。
「さてと。雑巾とって来ます。廊下やりますんで」
「はいはい」
とぎ汁の桶と雑巾で廊下を拭き清める。
素足で歩くの二人しかいないのに結構汚れるもんだね。
玄関の上がり口を拭いてるときに来客。
「ごめんくださ、あらまぁ山沢さん」
「あ、こんにちは、先生ですか?」
「えぇ、いらっしゃるかしら」
「ちょっとお待ちください」
広間を掃除中の先生に来客を告げる。
お通しするよう言いつかって先生は手を清めてから、と洗面所へ。
小間へ案内して先生とすれ違いに手を洗いに行き、お茶を煎れて出した。
それから掃除の続き。
板のところはすべて拭き終えた。
残りのとぎ汁は植木にやろう。
庭に出て撒いてると先生が呼んでいる。
「はい?」
「悪いけど広間もお願い。ちょっと出てくるから」
「あ、はい」
「早めに帰ってくるわね」
くしゃっと頭を撫でて外出されてしまった。
やれやれ、張り合いがないことだ。
撒き終えて中へ上がる。やっぱり多少は暖かい。
さてどこまでやってたのかな。
はたきはもうかけてあるようだ。箒が途中か。掃き清めて雑巾で畳を拭く。
八重子先生は花を活けているようだ。
茶花とは違い、鮮やかに派手に。
「広間終りましたー」
「ありがと」
「お茶かコーヒーいります?」
「うーん、コーヒー頼むわ」
「はい」
台所でコーヒーを二つ。俺はエスプレッソをダブルで。
「どうぞ」
テーブルの上にお砂糖も出して。
玄関の開く音、ただいまの声。
「お帰りなさい、コーヒーいります?」
「作ってー、ああ寒かった」
一散にストーブの前で手をあぶっている。
先生の分も作ってお砂糖も入れて混ぜて渡した。
「あぁ、おいしいわぁ。表寒いわよ~」
「でしょうね」
ふぅふぅ言いながらコーヒーを飲む姿は可愛くて。
半分ほど飲んでやっと落ち着いたようでコートを脱いだ。
おこたへ座って俺の手を掴む。
「あったかい手してるわよねぇ」
「手が温かい人は心が冷たいんだそうですよ」
「あら。そうかも?」
「同意しますかー、そこ」
八重子先生がウケている。
先生もクスクス笑いながら晩御飯の献立を相談し始めた。
すぐに決まったが先生が少し嫌そうな顔をした。
「寒いから行きたくないんでしょう?」
「あら、わかっちゃう?」
「俺行って来るから書いてください。上着取ってきます」
「お願いするわ」
廊下に出ると先生が八重子先生にちょっと叱られてるようだ。
ジャケットを取って戻るしょんぼりとして私も行く、と言い出した。
「いいからメモ書いて。俺は防寒万全だから大丈夫」
「でも…」
「八重子先生、先生は置いて行きます。外寒いですから」
「まったくあんたは過保護なんだから」
「メモ書かないんだったら後で電話します」
「あ、ちょっと待って、書くわよ。待って頂戴よ」
慌てて書いたメモを貰い買いに出る。
八百屋の近くでメモを見ると本当に慌ててたようで中々読みにくい。
それでも悪筆に慣れてるからまぁ読める。
指定されたものと別にプリンやチョコを買って帰宅した。
「戻りましたー」
「お帰りなさい…あの、読めた?」
「メモ? これでよかったかな」
買物袋の中身を点検して先生が微笑む。
「またプリン買ってきたの?」
「あなたも好きでしょう?」
嬉しそうな顔してるね。こんなことでも。
軽くキスしてみたらダメと言われた。
「ごはん、しないと…」
「はいはい、脱いできますね」
少し顔が赤いまま先生はお米を洗い始めた。
俺は部屋に戻って着替えたらお台所のお手伝いだ。
支度をしていると俺が少々ちょっかい出しても軽くいなされる。
お稽古中でもそうだが、切り替えが上手だ。
「そろそろお父さん呼んできて」
「あ、はい」
呼びに行って戻ると丁度律君が帰宅した。
八重子先生がお膳を拭いている。
配膳して夕飯を頂く。うまい。幸せ。
食後、洗い物を片付けてから帰ることにした。
先生が引きとめようとするが、諦めもまたいつもながらに早い。
「また明日、お会いしましょう」
そう言うと少し俺の袖を握り帰したくなさそうにしてるが、了見して離す。
そんな先生が可愛くて攫って行きたくなった。
苦笑して別れて帰宅。
翌日仕事が終わり次第すぐに先生のお宅へ。
火曜日にやったことと同じなのでさすがに手際よく動けたが、お稽古は散々で。
先生にやっぱり叱られて悄然と帰宅した。