翌朝、仕事も手につかぬまま時間になって。
切り上げて先生のお宅へ。
先生がいない間に掃除や洗濯をした。
三時ごろ、電話があり買い物を頼まれる。
今日の晩御飯の分だ。
帰宅した先生と食事を作り、食べたらすぐにお別れ。
暫くはこういう日が続くだろう。
出来るだけサポートしようと思う。
明日は泊まっていってくれるわよね、と念を押された。
念押しせずともいつも泊まっているのに。
それだけ寂しいのかもしれない。心細いのか。
翌日の昼に伺うとまた不在、と思いきや。
居間を開けたら孝弘さんが転がってた。
「あれは茶室におるぞ」
「あ、こんにちは。ありがとうございます」
茶室へ行ってみると一人でじっくりお稽古されている。
「山沢です、入ります」
「あら。こんにちは。いらっしゃい。もうそんな時間?」
「そうですね、そんな時間です」
「ちょっとお正客してくれないかしら」
俺へのお稽古にもなるので二つ返事で席に着いた。
お茶を頂いて問答を交わす。
渇いた喉に濃茶はちょっと絡むが甘くてうまい。
こほ、と咳払いをしてしまった。
気づかれてお薄を別に点ててくださった。
「うっかりしてたわね、ごめんなさいね」
「いえ、おいしかったですよ」
「そう? ありがと」
流れるように仕舞われてすべてを片付けて襖を閉められた。
水屋に向かい先生に挨拶をする。
「お稽古ありがとうございました」
「こちらこそ」
くぅ、と先生のお腹がなる。
「お昼、まだだったんですか」
「いけない、いま何時かしら。お父さんのご飯しないと」
「してきましょうか? というかいつからお稽古してたんです?」
「6時半から支度して今まで…」
「それは随分としたものですねぇ。待っててください、支度しますから」
炊飯器を見ると食べつくした形跡がある。
孝弘さんが空腹に負けたようだ。
ご飯を新たに炊いてその間にいくつか作る。
今日は根深汁に味噌漬けを焼き、菜花のおひたし。香の物。
朝に買い物してないからこんなものだ。
「できた?」
「ええ、もうすぐご飯も炊けます。これでいいですか?」
「玉子焼食べたいわ」
「…甘いのか辛いのかどっちですか」
「今日は甘いのがいいわね」
「はいはい、待っててくださいよ」
そういえば乾燥のエビがどこかに…あった、桜海老。
出し巻きにしないように気をつけて作る。
「お父さーん、ご飯ですよー。遅くなりましたけど」
「先生、出してってもらえますか」
「はぁい」
お味噌汁を運んで席に着く。
「いただきます。あら、おいしいわね」
「お腹すいてるからでは?」
箸の進みが速い。
ぱくぱくと食べておかずが減る。
食欲魔人が二人。
先生が先に箸を置いた。
「ごちそうさま、おいしかったわ」
「お粗末さまでした」
残ったのを孝弘さんが全部食べる。
先生はそれをにこやかに眺めつつお茶を飲んでいる。
孝弘さんが食べ終わって先生はトイレに、俺は食器を下げて。
「久さん、ね。お買物行きましょう」
「ああ、はい」
そうか、八重子先生がいないからには買出しも行かないと。
律君と二人で買い物は時間が合わないしね。
それに女のものはたとえ親子でも買いにくいだろう。
「お父さん、すみませんけどお留守番お願いしますね。炉の火は落としてませんから」
「わかった」
いつものことゆえ大丈夫だろうが先生はちょっと過敏になっているのだろう。
助手席をいつもならねだるられるのだが何も言わず定位置に乗ってくれた。
トイレットペーパーや生理用品、ティッシュなどかさばるものを買って積み込む。
それからおかずになるものを。
帰宅してすぐ、茶室に呼ばれた。
「お稽古するから。あなた暫くお正客ね」
はいはい。
残り火から炭に火を移し湯を沸かすその間に交代でトイレを済ませ手を清めた。
そろそろ湯も沸いたようだ。
先生が少し炭を直されてお稽古が始まる。
よどみなく先生の手が動く。
何度目かのお稽古を終え、先生に夕飯の支度を頼まれた。
もう一度か二度、お稽古は出来る時間だ。
支度をして律君の帰りを待つ。
今日はそんなに遅くならないというから。
孝弘さんが空腹を訴えだした頃、先生が水屋を片付けて戻ってきた。
「律、まだかしらねぇ」
「孝弘さんだけ先にしましょうか?」
うーん、と時計を見て少し悩んでいる。
「もうちょっと待ちましょ」
三人だけは少し寂しいらしい。
孝弘さんじゃ会話にならんからなぁ。
少し待つと律君が帰宅した。
よし、出そう。
待たなくても良かったのに、と律君が言うが先生の気持ちも考えろ。
食事の後順次風呂に入って火の始末、戸締りを用心深く確かめる。
さてちょっと早いけど寝るかね。
布団を敷いて先生の寝支度を眺める。
寒くて手早く済ませもぐりこんできた。
頭を撫で、背中をなでる。
すぐに寝息が聞こえてきた。俺の胸に頬寄せて。
そういえば目の下にクマがある。
どうやらここ暫くはよく眠れなかったようだ。
俺も寝息に引き込まれ、寝た。