翌朝、起きるべき時間になっても先生は寝ていて。
そのまま布団に残して朝食の支度に立った。
結局先生は昼前に起きてきて。お腹がすいたと訴える。
あと一時間もすれば昼飯を作るんだが…。
「冷蔵庫にカステラあるから切って頂戴よ」
「それなら」
「ん?」
「昨日孝弘さんが食べちゃいましたよ」
「あぁそう…なの。なにかないかしら…」
「買ってきましょう、ちょっと待っててくださいね」
「悪いわねぇ」
スイーツで良いだろスイーツで。
がっつり甘そうなデザートを買ってきて渡すと嬉しそうに食べ始めた。
ほほえましい。
先生は食べ終わって庭掃除を始めた。
昼飯の支度は先生がするといってるから茶室の掃除をしよう。
「ところで律は?」
「あぁ、なんか用があるからって朝から」
「そう? じゃお昼からお母さんの病院付き合ってくれない?」
「お見舞いですね、わかりました」
茶花の手入れをしている姿もいいな、うん。
丁寧に障子の桟を拭いてそれから畳を拭いて、ふと顔を上げれば最早いない。
台所から微かに物音が聞こえる。
今日の昼はなんだろう。
食事を作る音は好きだな。
小さな茶室でも丁寧に掃除をすると汗をかく。
毎日ここまではできないなぁ。
先生はやっぱり偉いや。
水屋を掃除し終え、手を洗って戻ると丁度出来たようだ。
「お父さん呼んで来て」
「はーい」
三人で食事を取って、それから先生を乗せて病院まで。
車中、先生に謝られた。
「ごめんなさいね、昨日…したかったんじゃない?」
「いや。あなたの睡眠時間のほうが大切ですからね。寝れなかったんでしょう?」
「そうなの、どうしても布団に入ると静かでしょ、いろいろ考えちゃって」
「考え事は一番ダメですよねー、布団入ってからは」
「そうなのよね。昨日はあなたもいたし、寂しくもないから、つい」
「いいよ、疲れてるんだしね」
到着して病室へ移動する。
今日は目の下にクマがないね、と八重子先生。
なんだ、心配してたのかな。
「そうなの、昨日久さんが泊まってくれたから」
「そうかいそうかい、良かったねえ
「お母さん、調子はどうなの?」
「毎日頑張ってリハビリしてるよ、早く戻らないとね」
「そんなに焦らなくてもゆっくり直したら良いわよ」
「やぁ先生、卒中後はなるべく早く、頑張らないと長引きますよ」
「でも…」
「最初に皆で手伝ったら後遺症が辛い、なんて事が良くあるんです」
「そうだよ、後悔はしたくないからね」
「八重子先生、その意気です! 手伝っていい事はお手伝いしますから」
「そうなの?」
「あ、先生は甘くても良いです」
「なぁに、それ」
「一人くらい甘い人がいないとストレスたまるじゃないですか」
「あぁそれはそうだね」
「と言うことで担当は先生で」
「ところでうちの方は?」
「昨日朝からお稽古してみたけど一人って結構大変だわね」
「そうだろうねえ。朝は少し遅めからにして時間も短縮にしないといけないと思うよ」
「うん、じゃないとお昼ごはん作れなかったもの」
「明後日は時間調整して再チャレンジします?」
「そうね、そうしようかしら」
「来月には再開して欲しいねえ」
「なるたけ頑張ります」
喋っているうちに昼のリハビリが始まってしまった。
先生は真剣な顔で見ている。
間接が固まってしまわないように、筋力を落とさないように。
初期のリハビリは本当に大事だ。
病院の帰り道に夕飯の買物をする。
一度帰ってからは面倒だからね。
そんなこんなで八重子先生がいないお教室の運営を始めたが結構大変だ。
主婦が別に一人いるから回る面もあったわけだなぁ。
今後を見据えれば稽古日を減らし、生徒数を絞らねばなるまい。
お花をメインにしていかないと時間のやりくりがつかなくなる。
だがまぁそれは先生と八重子先生で話し合うべき問題だ。
律君も学校がない時間にお見舞いに言ったり家事を手伝ったりと忙しくしている。
こういう時一人っ子は大変だ。
たまに晶ちゃんが着て孝弘さんの面倒を見てくれたり。
それでも先生はあまり愚痴は言わない。
夜になって疲れて寝てしまう日々だ。
時折思い出したように俺に謝る。
今は慣れない忙しい生活、俺にしても夜は眠いから我慢くらい出来る。
ある日ふと先生が空を見上げた。
「あぁ、もう春なのねぇ」
「春ですねぇ」
「忙しさにかまけて忘れちゃってたわね」
「仕方ありませんよ」
「暖かくなったわ、そろそろお道具も変えなきゃいけないわねぇ」
「うん、お手伝いしますよ」
茶道具から春らしい水指や茶碗を出す。
「ひな祭り、去年はあなたと美術館行ったわね。覚えてる?」
「ああ。行きましたっけねぇ。ですけどあれは節句の後では?」
「そうだったかしら。あ、そうね、ひな祭りはうちにいらっしゃいって言った気がするわ」
「今年は来てましたけど、そんな暇なかったですねえ」
「来年こそはしましょ」
「はい」
冬のイメージの強い道具は片付けて奥へやり。夏のものを手前へ出す。
「夏までにはお母さんも帰ってるからきっと…」
「あ。ベッドは必要になるかもしれませんね」
「どうかしら」
「まぁ退院近くなったらあちらの先生方と相談しましょうね」
床からの起き上がりは残った後遺症によっては難しいから。
日本家屋対応リハビリをしててくれることを祈ろう。
なんとかお稽古と仕事、家事を両立させる日々。
気づけばもうすぐ桜が咲きそうだ。
「お花見、したいですね」
「そうねぇ」
お夕飯を食べて俺は洗い物、先生は縫い物や瑣末な家事を。
茶室の掃除は俺の仕事。
明日朝一から先生がお稽古しやすいように。
「終りました」
「ご苦労様、お茶入れるわね」
先生と二人で飲んで、すっかり暗くなった外を眺める。
「帰りたくなくなるな」
「お仕事、あるんでしょ? だめよ」
しょうがない、休めないし帰るか。
今日は早めに追い出されて、帰宅後は眠りをむさぼる。
アラームがなるまで熟睡していたようだ。