翌朝も雨で陰鬱だ。
それでも多少は売れて。
「今年は駄目だね」
「週末になっては雨ではなあ」
「売れるものの売れない」
「というか魚も来ない」
雨続きで市場にも活気がない。
さて今晩は何を作ろう。可愛らしいカレイでも持って帰ろうか。
先生のお宅の炊事洗濯には慣れたけど献立を考えるのが億劫なのは先生もよくわかってて。
ちゃんとメールで今晩の献立を書いてくれてある。
俺に任せておくと肉が増えてしまうから。
毎晩先生と夕飯を共にするのは楽しい。
体力的には流石に疲れるが。
お稽古がお休みの日に二人で昼寝をするのがなければ続かない。
そのまま抱きたくなるのが問題だが。
大抵そういう日は先に先生が起きて夕飯の支度を始めてしまって。
翌朝のお弁当を持たされることになる。
先生が作るご飯はおいしいから嬉しい誤算なのだが。
そうしていつ花見にしようと思っていた夜。
孝弘さんが食卓にいないようだ。
「あら、お父さんは?」
「あーなんか友達と麻雀してくるって。暫く帰らないかもって言ってたよ」
「そう? 弱ったわ、ご飯どうしよう」
「冷凍して明日チャーハンしましょうよ」
「律もそれでいい?」
「いいよー」
カレーでもいいが匂いがね。稽古中に漂うのはちょっと。
余ったおかずを弁当箱に詰めて取敢えずは俺の朝飯に。
「暫くってんならご飯、二合くらいにしましょうか、明日から」
「そうした方がいいわねぇ」
律君がいない日は先生一人の食事か。
俺は慣れてる一人飯だけど先生にはきっと侘しかろう。
と思ったがどうやらそれは昼ならちょくちょく発生していた状況らしい。
せめて夜だけは三人で食べよう。
洗い物をしてから帰宅。明日は泊まれるから少し気楽だ。
翌朝、やはり雨。花が散る、散ってしまう…。
料理屋さんもこの雨には苦笑い、諦め半分に仕入れして帰る。
「ただいま」
お稽古中の先生の家に上がりこみ、家事をしていると先生が来た。
「あら、着替えてないの? まぁいいわ。生徒さんお休みだから今日はこれでお仕舞い」
「え、なんですかそれ」
「お花見行ってるらしいのよね」
「晴れたからか、そうか…じゃ俺たちもどこか行きませんか」
「そうねえ、まだ咲いてるのかしら」
「いくつか心当たりあるでしょう? 車だからどこでもかまいませんよ」
「そう? うーん…でも朝は雨だったから下が濡れてるわよねえ」
それはそうだ。ブルーシートはダメだし茣蓙では水気が浸透するな。
「残ってるかどうかわからないけど…羽村はどうかしら」
「どこですそれ」
「多摩川沿いの自然公園よ。確か夜もいい筈だから」
「OK、そうしましょう」
「車は置いて行って歩きましょ。律はもどこか行くって言ってたから遅くなっても良いわ」
「じゃ弁当どうしましょう」
「そうね。お弁当は…いらないわね。売店あるから」
「途中で降られりゃ中止してどこか飯食いに行っても良いな」
「じゃ着替えて…」
ザッと音がした。
「えっ? 嘘、降ってきたわ」
「えぇ!? うわ、マジか、今まで晴れてたのに~」
先生が肩を落とし深い溜息をつく。
「また今度ね…」
「来週あたり晴れたら奥多摩行きましょうか」
「そうね…」
「あぁでも。なんだからどこか飯は食いに行きませんか?」
途端ぱっと顔を輝かせた。
いくつか心当たりに電話して懐石の店に予約が取れた。
「さぁさあ着替えましょう。雨のドライブになりますが」
嬉しそうにしているのに俺も気をよくして。
たまにはお出かけしたかったんだよね、二人で。
支度が整って先生を車に乗せる。
「助手席乗りたいわ」
「だーめ、雨だから余計にいやです」
「我侭聞いてくれないのね」
「聞いていい我侭と聞いちゃいけない我侭があるんですよ」
「なんだったら聞いてくれるのかしら」
「さぁね。ま、先生と弟子という関係上この位置が正しいでしょう?」
「弟子を運転手にして、ね?」
「弟子が免許もってなくて先生を足にしてる社中もありますよね」
「あるわねぇ。ん?」
「どうしました?」
「イヤリング。落ちてたわ。誰のかしらね…」
険悪な声で聞いてくるんじゃない。
「こないだ昼飯ん時に皆乗せたからその時のじゃないですか? それ以外女乗せてません」
「あらそう。じゃ聞いてみるわね」
「そうしてください」
お店に着いて先生を玄関先に下ろしてから駐車。
玄関番が傘をさしてくれた。
「お連れ様は先に座敷に上がられてます」
「ありがとう」
草履を脱いで仲居に導かれ座敷へ。
ちゃんと先生が上座に座っている。
こういうところの人は人を見るからわかるんだろう。
冷酒を頼む。先生の分だけだからほんの一合。
切子徳利に入れてあり綺麗だ。
「飲みたくなっちゃうな」
「だめ、おうちに帰ってからよ」
飲酒運転になっちゃうからね、しょうがない。
俺はお茶で食事を進める。
ここの懐石は普通にうまい。
先生は久しぶりの飲酒にほんのりと桜色に染まっている。
「あ。鮪…」
「食べてあげるわ。そのかわりこれ食べて頂戴」
「あれ、苦手でしたっけ?」
「好きじゃないのよね。食べれなくはないけど」
「珍しいな、あなたが好き嫌い言うなんて」
「ないわけじゃないもの。うちだと自分で作るから…」
「嫌いなものは自然と食卓に並ばない」
「そういうこと」
次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打ちつつ、先生に飲ませる。
お酒があいて温かいお茶を貰った。
〆のご飯と香の物、味噌汁。
んー、うまい。
デザートが出てお茶が取り替えられた。
イチゴが甘くておいしい。
満腹満腹。先生も満足そうだ。
「そろそろ帰る?」
「そうしますか」
先生がトイレ行ってる間に支払いを済ませる。
車を玄関に着けた。
後部座席に乗ってもらって帰り、桜のある道を選んで。
「あら、きれい…」
雨は止んでいるから少し停車して歩いた。
「夜桜は良いですねぇ」
少しして寒くなったというので車に回収して帰宅。
お風呂を沸かして二人で入って久しぶりにいちゃいちゃもして。
居間でくつろいでいたら律君が帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえり」
「外寒いね、すっかり冷えちゃったよ」
「花冷えだね」
「お風呂沸いてるわよ、入ってらっしゃい」
「うん」
ドラマを見ていたら先生があくび一つ。
「寝ますか?」
「ん、もうちょっと。これが終ったら」
「布団敷いて来ようか」
「だめ、こうしてて」
俺にもたれているのが良いらしい。
可愛いなあ。
というか孝弘さんがいないから気が緩んでると見える。
ここは俺が気を引き締めて、手を出さないようにしなければ。
律君が上がってきた。
「お茶いる?」
「いいよ、今暑いし。まだ寝ないの?」
「ドラマあとちょっとなのよ」
「すっごい眠そうだよね」
体重全部俺に掛かってるかってくらいもたれてるもんな。
「あぁそういやさっきお酒飲ませたから」
納得、と言う顔をしている。
やっと番組が終って先生が身を起こした。
火の始末と戸締りを確認して戻る。
「さてと。寝るかね。おやすみ」
「おやすみなさい」
律君も部屋に戻ったところで今の電気も消して部屋へ。
先生はトイレからそのままこっちに来るはず。
布団を敷いて寝る支度を整えた。
が、十分経っても戻ってこない…。
トイレに行って声を掛けるが反応がないので開けてみたら寝ている。
「先生、起きて。ほら」
「ん…? あら? やだわぁ」
ほほ、と誤魔化し笑いして俺を追い出した。
「もー今度から飲ませないよ?」
「まぁそう言わないでちょうだいよ」
部屋に連れ込んで布団に入れて胸を撫で回す。
「こら、もう。眠いの」
あー。触ってるのに寝ちゃったよ。
しょうがねぇなぁ。
まぁ暫く帰らないらしいからまた火曜にでもするかな。
朝になって律君を送り出したら八重子先生のお見舞いへ。
着替えとかね。
いい天気だからと先生は沢山洗濯物を干した。
「あ。今日花見行きますか」
「いいわねえ、でもいっぱいかしら」
「なに、三人くらい座れるところはあるでしょう」
「じゃ用意してくれる?」
「はい」
旅箪笥と湯の入ったポット、釜に電熱風炉。
濯ぐためのバケツ類。
布巾やタオル、毛氈などを積み込んだ。
途中和菓子を買い込み病院に乗り付けて八重子先生をお誘いする。
外出許可を貰い、花見へ。
「いい天気ねえ」
「暖かいねえ」
先生が八重子先生を面倒を見ている間に設営する。
毛氈を敷いて風炉を置く。電源は車から取る。
日光を背にするように。そうしたほうが暖かく、眩しくない。
先生にお点前をお願いする。
お正客は八重子先生だ。
久々の旅箪笥に先生も少し戸惑い加減なのは微笑ましい。
八重子先生もお稽古じゃないので優しく先生に教えておられる。
さすがに野点は多少人目を引くようだ。
点前を交代して次は俺。
見ていたので先生よりは扱いをスムーズに。
こっちはお稽古のつもりで。
花と茶をたっぷり楽しみ、ほんの少し酒を。
これは医師に確認を取ってある。
日が翳らぬうちに撤収して病院へ戻る。
「早くうちに帰りたいねえ」
「リハビリ頑張ってくださいね」
「ベッド置く?」
「置いたからって問題じゃないです。手を借りずに立ち座り出来ないと大変ですよ?」
「そうだねえ、もうちょっと頑張るよ」
「そう?」
「そろそろあんたらお帰り、お夕飯の支度あるだろ?」
「おっともうそんな時間でしたか」
「あら本当、お夕飯なににしようかしら」
なんて話していると斐さんが来た。
「あら絹ちゃん来てたの。山沢さんも。こんにちは」
「こんにちは」
「姉さん」
「さっき二人とお花見してきたんだよ」
「そうなの? いいわねー」
「いいお天気でしたから」
斐さんに後を任せて二人で帰宅。途中で買物を済ませた。
なんとなく先生は茗荷の味噌汁をしたくなったようで…俺のは麩を入れてくれたけど。
味がするんだよなぁ。
でも作ってくれるんだから文句は言うまい。
それ以外のご飯はうまい。
たっぷり目のおかず。
少し残ったので弁当に沢山詰めてもらった。
「つい作りすぎちゃうわね」
「俺が食べますから」
律君が部屋に戻ってるのでその間に少しいちゃついて。
流石に先生は落ち着かないようだ。
でも俺が帰ると風呂に入って明日の支度をして寝るしかないわけで。
それだから俺に帰って欲しくないそぶりをする。
だけど俺の睡眠時間の確保、と諦めて俺を帰す先生はいつも憂い顔だ。
「明日も来るのに」
「だって…」
「わかってる、寂しいんだろう?」
こくり、と首を振る。
後一月もすれば八重子先生も退院だから、と宥めすかして別れた。
心が弱っている時はどうしても先生とて聞きわけが悪くなる。
それはもう仕方ないことだ。
これで律君が一人暮らしでもしたらどうなるんだろう。
ちょっと心配だなぁ。
なんて思いつつ帰宅した。